刺身の食べ方を中国語で説明するテキストがあった:「生活中国語」
「新中国語」の(4)と(5)の音読筆写を続けながら、いつも考えていました。
早くこれを終わらせて、もっと身近な話題を扱ったテキストをやりたいと。
「新中国語」には、毛沢東やレーニンや解放軍の話が出てきます。共産党御用達の作家魯迅も登場します。しかも成語故事もありますから、テキスト全体が古色蒼然たる印象なのです。
中国語の基礎を身につけるのだから、内容が古臭くても我慢しようと決めてはいましたが、音読筆写するたびに、現代文明から遠く離れた時代遅れの山里で、一人ぼっちで暮らしているような心細い気分に襲われるのはつらかった。
それで、書店に行くたびに、次のテキストを物色していました。
ちょうど、音読200回、筆写100回を終える頃に、神田の古書店で一冊の中国語テキストを見つけました。
『生活中国語 身辺の生活を表現し会話するレッスン』
張乃方・長谷川寛共著、評論社。1982年4月初版発行、1990年5月5刷発行。
この本のはしがきには、こうあります。
<身近な生活のありさまを中国語の易しい言葉使いで言い表した本、そんな本を作ってみたいと私たちはいつも考えています。何故ならば、そうした言葉を話すことができてこそ、中国の方々と本当の交際ができるからです。この『生活中国語』はこうした考えのひとつの現われであります。まず生活面をおおまかに学習、日常、交際、会社などの4項目、計60課に分け、主文として少し長い文例を示し、この主文に関連した語句の説明、会話、作文の問題と回答、そして場合によっては、その他と続きます。>
刺身の食べ方を説明する中国語
まさに、私が探していたテキストでした。
しかも、このテキストの話題は日本を舞台にしています。
たとえば、「こいのぼり」を説明する文章があります。「刺身」についての会話もあります。「台風」に関する文もあります。簡単な中国語で、日本の風俗や習慣を説明する文章や会話の例がふんだんにあるのです。
中国語の基礎を学ぶ段階で、日本のことを中国語で表現する方法を学ぶテキストがあってもいいと思っていた私にとって理想的なテキストでした。
中国で作られたテキストは、中国の歴史や文化を紹介しようとします。外国人に中国語を学んでもらいながら、中国への理解も深めてもらおうということでしょう。おそらく、日本で日本語のテキストを作れば、日本文化や日本の歴史を紹介するテキストになるのだろうと思います。その国の言語と歴史・文化は切り離すことができませんから、当然のことだと思います。しかし、そんなテキストばかりでは、困ったことが起こります。
受身の中国語、発信する中国語
日本人が中国人と会ったとき、互いに自分たちの文化や歴史を紹介し、考え方を伝え合って、互いを理解することが必要だと思うのですが、日本人の我々が、日本の文化や考え方を中国語で表現できなければ、相互理解のためのコミュニケーションは成立しません。
中国で作られたテキストには、中国と中国人を理解するための情報が盛り込まれています。中国の小説や新聞雑誌からも中国と中国人を理解できます。映画やテレビも同様です。
しかし、それらからは、日本人の我々が、中国人に日本をどう説明したらよいのかは、学べません。そういう説明のための中国語を意識して学び、トレーニングしなければ、日本について、中国人に紹介し、主張することはできません。
たとえば中国語のテキストで杏仁豆腐の作り方を覚えた日本人が、中国語で杏仁豆腐の作り方を中国人に説明することなど一生ないでしょう。
しかし、中国人から納豆の作り方や食べ方を質問される可能性は大いにあります(私は台湾で質問されて四苦八苦した思い出があります)。質問されなくても日本人の食生活を説明しようとするときには、納豆のことも話したい、自慢したい。
たいていの日本人なら、納豆の作り方や食べ方を知っています。しかし、それを説明する中国語はスムーズに出てこない。
中国の文化習俗、歴史について書かれたテキストだけで学んでいると、日本のことを発信する中国語が手薄になるのではないか、と私は思っています。
受身の中国語の恐ろしさ
近年、外務省の中国課の人たちに批判が集まっています。彼らは、中国政府の言いなりになっているのではないか、中国に対して、日本の主張をきちんと伝えていないのではないか、と疑われているのです。
外務省の職員になるくらいの人たちですから、優秀な方々だと思います。中国語もよくできるのだと思います。しかし、彼らが学んだのは、受動的な中国語だけだったのかもしれないと、私は思っています。相手の文化と主張を受け入れるだけの、受け身の中国語。
優秀な学生ほど、与えられた教材をしっかり学びます。外務省の人たちも、中国で作られたテキストでしっかり学んだのでしょう。中国の大学に留学して、中国語とともに中国国家の主張も学んできたのでしょう。しかし、彼らに欠けているのは、自分を主張する中国語、日本の主張を堂々と相手に伝える中国語の力なのではないか、と私は思っています。
遣唐使の時代と同じように、中国から学ぶだけで、自国の主張をできないエリートたち。そんなイメージを外務省の人たちに抱いてしまうのです。
こんなふうに日ごろから考えていた私にとって、『生活中国語』は素晴らしいテキストでした。
日本の事柄を表現する方法を学びながら、基礎的な文法や例文を頭に練りこむことができます。テープつきですからリスニングの特訓ができます。本文も会話もすべて対訳になっていますから、音読200回がすんだら、日本語を見て即座に中国語で言うトレーニングにも便利です。
ぜひ、皆さんにもお奨めしたいテキストです。
私が古書店で買ったのは旧版ですが、現在、新版が出ています。

